こんにちは。
業務部の武田です。
業務部の武田です。
2月4日に立春を迎え、暦の上では春になりましたね
とは言え、2月は冬の中で一番寒いイメージが強く、
実際の春を体感できるのはまだまだ先のような気がします
暖かくなるのが待ち遠しいですね。
とは言え、2月は冬の中で一番寒いイメージが強く、
実際の春を体感できるのはまだまだ先のような気がします
暖かくなるのが待ち遠しいですね。
さて、今回は私の出身地を少しご紹介したいと思います。
私は小学校6年生まで、和歌山県田辺市に住んでいました。
和歌山県と聞くと、何が思い浮かぶでしょうか?
梅干しやみかん、白浜のパンダ等々…様々なものがあると思います
田辺市だけでも紹介したいものや場所はたくさんあるのですが、
今回私は、田辺市の3人の偉人をご紹介させていただきたいと思います。
私は小学校6年生まで、和歌山県田辺市に住んでいました。
和歌山県と聞くと、何が思い浮かぶでしょうか?
梅干しやみかん、白浜のパンダ等々…様々なものがあると思います
田辺市だけでも紹介したいものや場所はたくさんあるのですが、
今回私は、田辺市の3人の偉人をご紹介させていただきたいと思います。
まずは、武蔵坊弁慶。
弁慶は源義経に忠実に仕えた家来とされる人物で、
弁慶は源義経に忠実に仕えた家来とされる人物で、
歴史の授業で習った方も多いのではないでしょうか。
しかし、実際のところ本当に実在していた人物かどうか真実は分からず、
しかも「生誕の地」とされる場所も全国各地にあるようなのですが…。
実は、弁慶の幼少期にまつわる史跡が田辺市には数多く残されており、
弁慶生誕の地として田辺市が有力視されています。
しかし、実際のところ本当に実在していた人物かどうか真実は分からず、
しかも「生誕の地」とされる場所も全国各地にあるようなのですが…。
実は、弁慶の幼少期にまつわる史跡が田辺市には数多く残されており、
弁慶生誕の地として田辺市が有力視されています。
弁慶の産湯の水を汲んだと伝えられている「弁慶産湯の井戸」があったり、
子供時代の弁慶が座っただけで出来たと言われる、大きなくぼみのある
「弁慶の腰掛石」が残されていたりと、今でも実際に目にすることが出来ます。
子供時代の弁慶が座っただけで出来たと言われる、大きなくぼみのある
「弁慶の腰掛石」が残されていたりと、今でも実際に目にすることが出来ます。
その中でも、「弁慶の腰掛石」は神社の境内にあります。
当時私はその神社の近くに住んでいて、存在は知っていたのですが、
子供だったこともあり特に深く考えることはなく…。
しかし今になって思うのは、もし本当に子ども時代の弁慶がその石に座って
当時私はその神社の近くに住んでいて、存在は知っていたのですが、
子供だったこともあり特に深く考えることはなく…。
しかし今になって思うのは、もし本当に子ども時代の弁慶がその石に座って
くぼみが出来て、その石が現代まで残っているのだとすると…
とってもロマンを感じる話ですよね*
弁慶の、子供の身体なのに座るだけで石にくぼみが出来てしまうほどの
体格というものは、想像を絶するものがあります。
田辺市では弁慶にまつわるイベントが行われていたり、
弁慶をモチーフにしたご当地キャラも存在します
秋に行われている「弁慶まつり」と呼ばれる大きなお祭りは、
秋に行われている「弁慶まつり」と呼ばれる大きなお祭りは、
弁慶の伝説が演劇で再現されていたり、
「弁慶ゲタ踊り」と呼ばれる踊りを
「弁慶ゲタ踊り」と呼ばれる踊りを
大勢の踊り子さんたちで街の大通りを練り歩きます。
また、ご当地キャラは「たなべぇ」という名前のキャラクターで、
凛々しい表情でありながら可愛さも感じられます^^
また、ご当地キャラは「たなべぇ」という名前のキャラクターで、
凛々しい表情でありながら可愛さも感じられます^^
今はコロナで弁慶まつりも中止を余儀なくされているようですが、
コロナが終息し弁慶まつりが開催されるときには
久しぶりに行ってみたいなぁと思います。
コロナが終息し弁慶まつりが開催されるときには
久しぶりに行ってみたいなぁと思います。
冒頭で「3人の偉人を紹介します」…と書かせていただきましたが、
弁慶のお話だけでかなり長くなってしまいました。。
残りのお2人については、またの機会に書きたいと思います。
弁慶のお話だけでかなり長くなってしまいました。。
残りのお2人については、またの機会に書きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
武田